戦略と戦術について

1.企業はミリタリーオタクを求めている(?)

ミリタリーオタクの同志諸君は社会人になり、会社の営業会議に出席するとローラー作戦とか、絨毯爆撃とか軍隊用語が連発するのを聞いてナヌ〜?(^^)と思うことが何度かあったかと思う。この中でもっとも使用頻度が高いのは戦略という言葉ではないだろうか。どの会社も営業会議などでは顧客別の戦略検討会議なるものがあったり、来年度の戦略立案という議題で会議がもたれることが多い。しかしよーく話を聞いていると戦略と戦術が混同されて使われていることが多いことに気づくはず。
何のために何をどんな形でどう行うのかを明確にせず、戦略会議のはずなのに「俺の若いころはな〜!」という話になってしまったり、戦略を検討するはずなのに戦術の検討をしていたり、はたまた個々の戦闘(商談)における失敗をチクチクと責め立てたりするケースが非常に多い。こういうとき、我等ミリタリーオタクはこう考える。

普通の人はコレ。
「やっぱりうちの会社だめだ。転職しよう。」

ミリオタな人はというと、
「大本営とおんなじやな。」
「日本人はこういうの苦手な民族なのかな。」
「まあ、ほかの会社も似たり寄ったりだな」
「じゃあ、俺様が指摘してやるか」

いかがでしょう?我等ミリタリーオタクはビジネス書を読まずとも趣味の延長で知らず知らずのうちに過去の日本軍や各国の軍隊の犯した過ちを理解し、さらに戦略と戦術の違いを理解しているので、「ああ、ここでもか」と思い、さらにやる気があるなら、それを改善しようと行動に移すのである。(傍観する場合もありますが)
企業は人材教育に投資をせずともこのような作戦参謀を容易に得ることが出来ることから私めが人事部に行ったらぜひとも採用欄にミリタリー欄を設けたい。きっとこれがミリタリーオタクの地位向上につながると信じているのだが、人事部長様いかがでしょうか?


2.戦略と戦術を理解する
さて、ちょっとだけまじめな話を。
戦略と戦術を明確に区別したのはプロイセンのカール・フォン・クラウゼヴィッツの著作「戦争論」と言われている。英国のリデル・ハートは戦略と戦術は時間的空間的に相互に重なりあっていることからクラウゼヴィッツのように明確に戦略と戦術を区別することは出来ないという反論をしているが、この議論についてはココでは省略〜(^^)多くの場合、戦略と戦術を区別して考察したほうが事象を分析しやすいからである。

海軍の例から
たとえば一番説明しやすいのが真珠湾攻撃、すこしマニアックなら珊瑚海海戦や南太平洋海戦などの戦術的には勝利、戦略的には失敗のケースではないだろうか。真珠湾攻撃についてはトンデモ映画「パールハーバー」で知名度も高いのでこれを主題に考えると、

まず、航空母艦を集中運用し、航空機による攻撃で太平洋艦隊を開戦劈頭に撃滅したのは戦術的な勝利ということが出来る。
戦術の元である戦略は「開戦の最初の段階で圧倒的に米国に損害を与えて戦闘意識をそぎ戦意を喪失させて早期の講和に持ち込もう。日本は短期決戦でなければ米国と戦っても勝ち目はない。」というものであった。しかし、実際はその意図を徹底して末端組織に伝えることを怠り、結果として外務省職員の怠慢(送別会に出席し、暗号文の解読正式文書化が著しく遅れた)のため、宣戦布告が遅れてしまう事態を招いた。これを国際法を破る卑劣行為であると米国の宣伝に利用されてしまったことから当初の戦略の目的である戦意喪失どころか、逆に米国民を憤慨させ一致団結させてしまい世論は非戦だったにもかかわらずルーズベルトの思惑どおり、米国は第二次大戦に参加するきっかけを与えてしまったのである。すなわち戦略上は大失敗であった。

知れば知るほど悲しくなるが、もともと日本海軍にはまともな戦略はなく、山本連合艦隊司令長官も近衛首相から「海軍は戦えるのか」と質問されて「半年から1年は暴れてみせるがそれ以降は自信がない」と答えている。まあ、なんともお寒い状況でございます。

3.戦術がいつのまにか目的になった艦隊決戦思想

なぜ四方を海に囲まれ、米国という大国と戦うのにプランも無く、あれほどまでに完膚なきまでに敗れる戦争をしてしまったのか。もとをたどると日露戦争における日本海海戦でのパーフェクトゲームに起因する。以後、対米作戦における基本方針となった艦隊決戦は本来なら海軍にとっては艦隊決戦は単なる戦術のひとつである。だが、旧日本海軍にとっては国力的な限界もあり、手段である艦隊決戦がいつのまにか目的にすりかわり、来襲してくるアメリカ艦隊を日本近海で迎え撃ち、撃滅するという所謂「艦隊決戦」思想のために日本海軍は思考も形を合わせていったのである。

自ら開いた航空機時代の幕開けに背を向け、「伝統」「金科玉条」という言葉のもとに強制的に思考停止状態に陥った海軍は結局のところ、明治の思想のまま昭和の戦争を戦いそして敗れたのである。このようなことは内容こそ違えど、企業内でも企業間でも起こっている。企業が利益の追求がなんといっても目的であり、軍隊の役目は勝利が目的であるが、そのための歩みにそれほどの違いはなく、むしろ、閉塞状態を打開する際のひとつの検討案としてこれら実際に起こった軍事上の出来事を題材に考察してみるのはどうだろうか?

陸軍の例から
万歳突撃といえば誰でもあああれかと連想できる日本陸軍の歩兵突撃。38式歩兵銃の先に銃剣を着けて敵陣に向けて「突撃っー!」と叫ぶ指揮官に続いて歩兵たちは「天皇陛下万歳」と叫んでいたかはどうかわかんないけどとにかく突撃する。そこに米軍に機銃が火を噴きばたばたと日本兵が倒れていくという悪夢のようなシーンが展開されるわけだが、なぜ日本軍がこんなことをしていたかというと旧陸軍は主兵(歩兵)は陸軍の中心であり、戦闘の勝敗は最後は歩兵の銃剣突撃によるものだと規定されていたことと無関係ではないでしょう。ロジスティクスに関心が薄かったゆえに長期戦には耐えられず、短期でケリをつけちゃえ的な発想は海軍と同じだったのかもしれません。


理論はあくまで現実を観察するための手段に過ぎないとクラウゼヴィッツは著書「戦争論」でもその墨守を戒めているが、日本陸軍の場合は手段であるはずの銃剣突撃がいつの間にか目的に置き換わってしまい、結果として守勢という不利な状況であるにもかかわらず銃剣突撃してしまうため、米軍からすると「死に来てくれてありがとう」とばかり鉛弾を大量にプレゼントされ、兵力を消耗し、結局相手の手間を省かせてしまうという本来の目的とはまったく逆の結果を招いてしまったのである。。日本人的な死生観とも相まっていわゆる万歳突撃は玉砕パターンの定番になってしまった。

一方でこの無謀な突撃を戒めた栗林忠道中将が統率した硫黄島の戦いは

「日本本土への爆撃を1日でも避けるために」
「従来の短期決戦思考から持久戦という形で耐える戦略を採用し、」
「地下壕にこもって一人十殺の戦闘方法で敵の戦力を削減する」

という明確な戦略戦術戦闘方法の提示、浸透徹底、実施のもとに行われた。戦闘で米軍に死傷者数が米軍が日本軍をうわ回った理由はここにある。これは我々ミリタリーオタクだからこそ説明できるものであり、2006年12月には「硫黄島からの手紙」という映画も公開されることからいよいよ我々の出番も近いと思われる(?)栗林中将は駐米武官の経験もあり陸軍には珍しい知米派と言われる。知米派だからこんな戦いぶりが出来たとは思いたくはないが、やっぱり日本人はこういう戦争には向かないみたい。蛇足だが彼の最後は突撃により戦死というのが一般的になっているが実は米軍に降伏を申し入れようとして部下の参謀の射殺されたという説もある。どちらが正しいのかいまとなっては分からないが、まあそういう説もあるということを知っておいて損はないでしょう。
散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道







結局のところ、
ビジネスシーンでは誤解されて運用されることが多い戦略と戦術の違いを明確に軍事上の事例を用いてわかりやすく説明できるのはミリタリーオタクの特権?であり、豊富な例題も提供できることから、隠れミリタリーオタクの同志諸君(?)は是非是非このよう見地に基づいて自己の持つ教養(?)をshareしてほしいと思うわけである。

ただし、説明の際はくれぐれも本題から脱線してマニアックな話を泡を飛ばしながらしゃべりまくらないように冷静に話しをして欲しい。私も近々職場で実行予定であるが、玉砕したらこのページは削除の運命をたどるでしょう・・・

もしミリタリーオタクじゃない方がお読みであるならば、是非、戦史研究の本を手にとって欲しいと願うのである。まだまだ世間の目は厳しいので最初は本のカバーをつけて読んだほうがいいかもね。

  
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