表と裏を考える癖がつく

ミリタリーオタクが何故一般的に近現代史に強いかを前項で書いてみた。戦争は国家的暴力行為であるが、政治上の延長であり、戦争を学ぶことはすなわち政治をまなぶこととイコールである。イラク問題、北朝鮮の問題、パレスチナをめぐる問題、はたまた靖国参拝をめぐる問題。これらはすべて過去の歴史の延長上にあるもので、突如として発生したものではない。過去の歴史を知らずして現在の問題は語ることは出来ない。

  だが、不思議なことにテレビをはじめとしたマスコミはうわべのみの報道にとどまり、原点をさぐろうという動きはみられない。となるとそもそもこの源を探ろうという思考が視聴者に無ければ、メディアの報じる一方的かつ程度の低いマスコミの主観報道を客観的な事実として受け取り、思考停止状態のまま自らの意見として気づかずに取り込んでしまう危険性がある。特に民放放送局の報道キャスターと称する勉強不足のタレントたちのその場しのぎの適当なコメントや見方がそのまま視聴者のコメントや見方になってしまうこの恐ろしさ。

たとえば、最近のイラク情勢などはどうだろうか。かの米国・英国が大量破壊兵器の話や査察妨害の話を出してイラクに対して開戦したことは記憶に新しい。この理不尽な文句のつけ方はあのハル長官の書いた「ハル・ノート」を連想させる。当時中国での権益確保を考えていた米国は蒋介石に軍事費と物資を支援していたのは事実だし、その障壁となる国は日本。米国世論は非戦、しかし三国同盟に加入している日本に堪忍袋の緒を切れさせて攻撃を誘発すれば自動的にドイツにも参戦できるという思惑。権益を確保したいという政治上の思惑が戦争というひとつの手段としてまさに表に出てくるのである。

彼等米国・英国が真にサダムフセインの圧政から市民を解放することを目的とし、テロ支援国であるイラクを攻め、そしてまた大量破壊兵器の保持が世界に影響を及ぼすと指摘をするのなら何故キムジョンイルの北朝鮮を米国は即攻めないのであろうか。彼がいまにも核のボタンを押す男だからだろうか。石油権益がないからだろうか。それともその後ろに見え隠れするこれまた独裁国家である中国の影響が読めないからであろうか。

戦争に大義は存在はしない。仮に存在するとしても大義はひとつではない。十字軍遠征が神の名を借りた血塗られた権力闘争と領土拡張戦争だったことは誰でも知ってると思うし、残念ながらアジアの解放をうたった日本の戦争も現地の占領政策を見えれば本当にそのような理念の延長上の手段だったのかは疑わしく、一部の成果は一部の崇高な理想を持つ司令官や兵士の個々の働きによる結果であると認識している。(ホンマは信じたい)

表側のもっともらしい大義とその裏に見え隠れする様々な思惑。戦争を手段として学ぶとその目的が見えてくる。表と裏はまさしく表裏一体。




ちょいとまじめモードで書いてしまった。いかんいかん。でも消すのはもったいないのでそのまま載せます。
  
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