近現代史に強くなる

小学生のときに従姉妹のチホ・カナちゃんから譲ってもらった日本の歴史という漫画と発明発見の秘密という学研の漫画の2冊にハマッた僕はそれこそ穴があくほどその2冊の本を読んだ。おかげで小学校の社会の時間はとても楽しみだったし、日ごろ目の前に転がっている日用品がどのような発見、発明を経ていまに至るかを説明できるというのは自分に大いなる自信を与えたのは間違いない。

特に歴史については日本史、さらに世界史は大得意だった。楽しんで知らず知らずのうちに勉強をしていたいわゆる「楽勉」でミリタリーの世界から歴史を学んだ僕が不満だったのは高校生のときに学んだ世界史が第一次大戦で授業が終わってしまったことだ。実は中学生の時もこのあたりで終わってしまっていた。なんだよ、これからが俺様の得意分野なのになあとひどく落胆した覚えがある。近代史は戦争の歴史だからである。最近学校での必修単位の問題が報じられているが、もう20年以上も前から常態化していたわけだ。

現代の世界情勢を語るには1990年の変化と1945年の第二次世界大戦の終了後の東西対立に触れる必要がある。そして第二次世界大戦を語るには第一次世界大戦を知らねばならない。そしてさらにヨーロッパの国と国がこれまでどういう関係でこの戦争に至ったのかを知ろうと思えばさらに昔に戻らねばならない。

戦争とは他の手段をもってする政治上の延長(政策の継続)であり、政治目的は軍事的手段に対して決定的な優越権を保持している」というクラウゼヴィッツの有名な「戦争論」の主題にあるように個々に発生している戦争はそれそものは政治上交渉などで解決できなかった意思を実行するための暴力行為であり、戦争は戦略に基づいた戦術による戦闘で構成されている。

学校で強制的に「○○の戦い」と暗記をしてもそれがどのような過程を経てその戦いに至ったのかを知らなければテストが終了すれば記憶から忘れさられ、知識として身につくことなく終わるのである。戦車や戦艦や飛行機は単なる武器だがこれらを戦術という形で使うことで個々の戦闘が行われる。戦術の前には戦略があり、さらには戦争そのものは国家としての意思がある。すなわち私を含むミリタリーオタクは知らず知らずのうちに書籍などに触れるうちに学び、また熱中体験のもたらす楽しさ(ワクワク)から無意識のうちに事実を根源まで探ろうという方向に走る傾向がある。これがミリタリーオタクが一般的に近代現代史に強いひとつの理由だと考えている。

現代のイラク問題、北朝鮮の問題、パレスチナをめぐる問題はすべて過去の歴史の延長上にあるもので、突如として発生したものではない。これらにはすべて戦争が関係しており、その戦争は政治上の延長線上にある。点として考え、面で捉えさらに関係性を捉えることはまさしくミリタリーオタクであったからこそ僕はまなべたのだろう。

極端な平和思想がもたらしたミリタリーアレルギーがいまだに日本には蔓延しているが、戦争を学ぶことはすなわち歴史を学ぶことであり、国内国外政治を知り、それは世界を知ることであり、そして日本を知ることである。国際派になるために必要なのは英語を学ぶことではなく、確固たる世界観を持つことではあるまいか。そのための材料を特に60年前に痛感したはずであるが、どーも生きてないなあと感じる今日この頃。

  
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