肉体を鍛えたらオタク脱出!?



大学名を堂々と公表して練り歩けるという、今思えば「あほかっ!」と思える理由であろうことか体育会に入部した俺様。これまで運動部といっても卓球部(爆)の経験しかなく、ここ数年間は5分以上まともに走ったことがない。予想どおりだったが先輩に連れられて10分も走るとゼイゼイハアハア状態
さすがにこれはやばい。もともと体力は人より劣っていると自覚していたし、長年のオタク生活でさらに体力も劣化。もともと骨皮筋衛門だったこともあって体も貧弱。胸囲も78センチで文字通り骨と皮しかないありさまだった。

我が体育会陸軍部のトレーニングは約1時間の持久走に加え、腕立てや腹筋背筋などの筋力トレーニング、日によってはそのあとに器具を使ったトレーニングで構成されていた。これまで肉体の限界を超えた先に見えるものがあるということを知らなかったオタクである。ようするにがんばることを肉体が知らないわけだ。頭脳のほうはすでに予備校で限界を経験(?)していたがこちらは未経験。

まずは走ることが出来ない。どうしたら走ることが出来るのだろうと考えてみた。まずは靴をスポーツシューズに履き替えた。さらに膝や足の使い方を考えながら走り、先輩たちの呼吸方法を観察するようにした。さらに手の振り方を考え、腹筋背筋を鍛えていくと、次第に距離とスピードが出るようになり、他人よりは劣るものの集団での登山活動には問題のないレベルの体力をつけることが出来た。この過程で
精神のがんばりで肉体の壁を越えるたびに得られる快感をはじめて味わったのである。その快感とその後の成果と肉体の変化は自分にとってたまらないものとなり、大学2年生のころには胸囲は78センチから92センチ、体重は68キロから58キロへと、いちおう小ぶりながらもちゃんと逆三角形の体をもったミリタリーオタクがここに誕生したのである。つまり肉体的に変身を遂げたわけ。

こうなると徹底的に追求してしまうのがオタクである。体にいい食べ物は何だろう、トレーニング前に何を食べたら力を出せるのだろう、下半身を効率的に鍛えるのはどうしたらよいのだろうと、日々考え、これまでミリタリーオタク的妄想に費やしてきた時間はすべて登山での心地よい達成感やトレーニングでの達成感を詳細にイメージしたイメージトレーニングの場へと変身したのであった。(とはいうものの、やはり体を作る大事な中学高校の時期にシンナー吸ってセメダインとうすめ液でフラフラになりながら動かない生活をしていたハンデもありの、もともと基礎体力がないの、でトレーニングをしてやっと人並みというのが正直なところ。実際卒業してトレーニングを止めたらあれよあれよという間に太って元通りになってしまったが)

当時の手帖を見てもオタクのオの字も見当たらないし、それらに関心を配っていた様子もまったくない。それくらい没頭していたのだ。没頭できるのもオタクの取り得である。こうして体育会に入部し肉体を鍛えることで、変身を遂げさらに登山の楽しさを知ったことで没頭をし、完全に頭の中からミリタリー的オタク思考が停止してしまったのである。

立山雄山谷で山岳スキー滑降を楽しむ

当時は「健全な精神は健全な肉体に宿る」ということはこういうことだったのだ!と大感動し、その結果、これまでのミリオタ的人生を後悔するようになっていったのである。一体俺はなにをやっていたんだ、俺の青春時代は何だったんだ、あのときもっと大志を頂き、目標設定をして楽しんでいたら、もっと人生を楽しめたはずなのに、と戻ってこない過去を振り返って出来ることながら中学くらいからやり直したいと切に願い、さらに両親を勘違い逆恨みをしたものだ。こうなると人生をリセットしたい、でも出来ない、それならいっそのこと一切を隠蔽してしまえとばかりに中学高校時代の負の記憶を心の中から抹消することにしたのである。

今思えばこれがカミングアウトを抑制していた強烈なドライバーになっていたようにも思えるが、当時はとにかく今の大学時代の自分が本当の自分の姿で中学や高校の自分を認めず、ゴミ箱にほうりこんだのだ。

 
 
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