オタク卒業のつもりが登山オタクに



大学に入学して自分だけがオタクということに気づき、さらに何を血迷ったのかこともあろうに体育会に入部してしまった俺様。しかし、体を動かしていくうちに次第に自信がついてくると不思議とミリタリーの興味が薄れていき、代わって登山の技術や山そのもの、これまでの登攀の歴史などに興味が湧いてきた。

冷静に考えるとミリタリーオタクが登山オタクに化けただけなのだが、当時の僕としてはこれで僕も”オタク脱出”&”みんなの仲間入り♪”と思っていたのである。最近大学時代の同級生に話しを聞いてみたら、「いや、おまえはマイペースで変わっていた」と普通に言われてしまい有る意味ショックだったのと、「やっぱそうか」と納得したものだ。

当時としては肉体も改造(?)し、精神もちょっとまとも(?)になったと勘違いしていたこともあり、これはもうオタクには戻れない、戻ることもないだろうと考えたのである。早速下宿に持ち込んだ戦車マガジンの別冊シリーズをすべて段ボールに入れて実家に宅急便で送り返した。その代わりに「岳人」や「山と渓谷」を買ったり、古い岳人を古本屋で購入して並べたりした。おれはヤマ屋と演出したかったというのもあるのだろう。(残念ながら思惑は外れ登山オタクと思われていたようだが)ただ、ミリタリーオタクの情熱を登山オタクに注ぎ込んだので登山の歴史などはかなり詳しくなった。

さらに大学入学当時は神戸の高架下商店街で買ったミリタリー調の服を何度も来て学校に行ったものだが、それもすべてたんすの奥にしまいこみ、GパンとTシャツまたは白のポロシャツを新たに買いにでかけ、いちおうさわやか君(?)を演じようと僕なりに努力したのである。

もちろん言動にも気をつける。たとえミリタリーな話題になっても「へえ〜」と適当に知らないふりをしつづけたのである。正直これは苦しかった(笑)


負の遺産である中学・高校オタク時代を隠蔽

ミリタリーの話をしないということはイコール中学高校の時代の話をしないのと僕の場合は同等だったのだ。間違いなく自分にとってカミングアウトするまでは負の遺産だったのである。

中学高校生のときは「俺って一生結婚できねーかも・・・」と半分本気で思い込んでいたこともあり、これを機会に脱皮(?)するぞー!と自己満足的な改善改革を試みて僕だが、そんな僕にもどーいうわけか彼女が出来たのだ。オタク時代には考えられないことだった。あのときの俺よ、どうだ見たか!といわんばかりである。

もちろん彼女にはミリタリーオタクだったことなど語るはずもない。ひたすら隠蔽である。高校のときは何してたの?と聞かれれば「帰宅部」と適当にはぐらかしていた。しかし中学時代は何していたのと聞かれると卓球部と言うのはなんとなくオタクの片鱗を見せているような気がしてちょっとはずかしかった。こんなこともあり、中学高校時代の自分というのをひたすら隠蔽しようという気持ちが強くなってきた。高校時代といえば学校帰りに模型屋に寄るか、映画館に寄るかのどちらかの生活だったから、まあ映画については語ることは多かったように思う。とにかくそーいう話にならないように、ならないように気をつけた。これはなにもデートの時だけではなく、クラスメイトとの会話の中でもまったく同じである。

結局、オタクとして過した中高時代は受験に失敗したということもあり、負の遺産という形で定義づけ徹底的に隠し、話をしないようにしたのだ。社会人になってからも出身中学や出身高校を聞かれても答えなかった源はこんなところにあったのかあとこの文章を作成しながら気づいた次第。最近のミリオタ自認以来高校名も普通に語るようになったけどね。

ちなみに・・・いまの嫁さんと結婚前に実家に連れて行き、コレがホンマの俺の姿ですとたんすにしまいこんだ戦車や艦艇模型を全部見せたことがある。700分の1の飛行機の日の丸が白淵に赤でちゃんと塗られているのをみてさすがの嫁さんは「・・・」だったけど、まあ、いいかと諦めてくれてるようだ(笑)
あれでフられていたら、もう後戻りできないくらいの真性オタクに戻っていたかも。
    
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