我が海軍の黎明期
















オタクの大先輩である父がすでに僕が物心つく前に我が家に空軍を創設し、すでにその数100機を越えていたため、さすが我が貧弱なお小遣いと生産力では勝てないと早々に諦め、ならば!とばかり、航空主兵?の時代にあえて海軍力増強に乗り出したのである。そんな父も何度か脱線したことがあるようで、父の手によってすでにウォーターラインシリーズの駆逐艦2隻と軽巡洋艦の矢矧(やはぎ)、重巡洋艦の愛宕が完成していた。
重巡洋艦 愛宕

小学校4年生のときにドイツのキングタイガーを買ってもらったものの、どうも感情移入が出来ず、風呂で浮かべて遊べるというてっとりばやさも手伝ってか、まずはモーターを入れて推進するタイプの艦艇を何隻か作った。長門や陸奥である。陸奥は30センチシリーズというモデルで、思い出深いのはスクリューのシャフトと船体の間にグリースをいれろと説明書きがあり、さらにマーガリンでも代用できると書いてあったので、冷蔵庫からこっそり盗んで無事完成し、風呂で進水式をしたところ、スクリューの根元からマーガリンがじわじわーと出てきて風呂に浮かんでしまい、オカンにお灸をすえられた記憶がある。代用できるって書いてあったのに。もしかして記憶違い?

風呂場の一件で懲りたわけではないが、風呂ではやはり大艦隊は楽しめないということに気づき、絨毯を太平洋に見たて大海原を突き進む我が連合艦隊の姿のイメージがくっきりを浮かんだ僕は迷わず、ウォーターラインシリーズに走ったのである。

建艦競争の時代へ突入

どの船を最初に買ったのかは記憶がない。影響を受けたのはときどき父が買ってきてくれた雑誌「丸」であるのは間違いない。小学生が読む本じゃないよね、少なくとも。

太平洋の戦いは航空機の戦いということもあり、まずは山本五十六の真似をしたわけではないが航空兵力を育てることにした。やはり、最初にそろえたのは赤城、加賀、蒼龍、飛龍。飛龍は金がなかったので、オタクの友人K君と小遣いを半分子して買い、互いの家を行き来した思い出深い船。赤城と加賀がタミヤ模型で精巧だったのに対し、他の2隻はアオシマ製。艦橋の窓や高角砲、機銃の出来がタミヤモデルと比べてあまりにも稚拙でなるほどこういうところに会社の力が出るんだなあと実感。
多聞丸”飛龍 蒼龍

加賀

さらに増強すべく、瑞鶴、大鳳、信濃、準鷹を購入した。信濃はきちんと大和型の船体をベースにしており、感動したが、よく考えたら空母なのに戦艦の砲台座が残ったまんまのわけないことに気づき、タミヤの工数削減策にまんまと乗せられただけだ。準鷹は行きつけの模型ショップのショーウィンドウに展示されていた作品に感動して購入。正規空母で無いことを知ったのは後のことだ。エレベータを途中で止めた状態にするときちんと格納庫の段が見えるあたりはタミヤらしくて大変よろしい。大鳳は日本の空母としてはちょっと格好いいデザインなのに活躍する間もなく沈没したあたりが悲しいが、ちょっと変わった高角砲が印象的だった。
ビッグな飛行甲板を塗るのに一苦労した信濃 鉄の塊でございます風の異色系空母 大鳳

空母8隻をそろえ大満足の僕は次に連合艦隊を形成することを考えた。それには空母だけではだめで、潜水艦、輸送船、駆逐艦、巡洋艦、戦艦が必要と考え何がほしいかリストUPをしてみた。参考にした書籍はウォーターラインガイドブック日本連合艦隊編(改訂版)である。静岡の模型教材共同組合の発行で、青島文化教材社、タミヤ模型、長谷川製作所、フジミ模型が参加していた。

箱を開けてみて格好いいな!とまっさきに購入したのがこの妙高。3連装砲に憧れて熊野を買い、鈴谷はアンテナ支柱も自作するほどの熱の入れぶりだった。ソロモンの海戦をイメージして、部屋の電気を消し、懐中電灯を持って腹ばいになり、敵艦艇(もちろん空想)に向けて「探探燈照射!撃て!」と楽しんでいた。これは面白いとオタク仲間のK君を誘ったが「怖い」と断られた。電気を消すのが怖いと当時は思っていたが、冷静に考えると僕が怖かったのかも(汗)

重巡洋艦 妙高

駆逐艦は特に思い入れは無かったが、とりあえず雪風を購入。そういえば宇宙戦艦ヤマトでも古代の兄である守の乗るミサイル艦名も「ユキカゼ」。やはり松本零士(^^)ちなみに本物の艦は最後まで生き残り、戦後は台湾で活躍した殊勲艦であるが、あまりにも強運のため他の艦からは疫病神と呼ばれていたらしい。2006年の静岡ホビーショウで長谷川製作所が350分の1サイズの雪風を発表。模型を見せてもらったが、これがまた大変良く出来ていてお勧め。
最後まで生き残った強運艦 雪風
先週ブロードバンドで宇宙戦艦ヤマトを30年ぶりに見たが冷静にみると三段空母から発艦する攻撃機が宇宙空間にもかかわらず、沈み込みをしていたり、宇宙空間なのに急降下爆撃機という名称がついていたり(笑)つっこみどころ満載。おっとまた脱線。

丸スペシャルの「潜水艦作戦」で潜水艦にハマリ、Uボードを含め8隻の潜水艦を購入した。しかし、感情移入するにはあまりにも小さすぎてあくまで艦隊を作るという目的だけでそろえた感あり。イ400のでっかいモデルをどこかの会社が出してくれればきっと購入していたな。子供心にもどうして日本潜水艦はこんなに種類が多くてこんなにデカイのだろうと不思議に思っていたが、そもそも来航する米海軍の艦隊を暫減するための思想のもとに作られたとあって、なるほど納得。まさしく文化教材たる役目を果たしたのはオタクだけで終わっていないぞというひそかなアピールである。いや、やっぱりオタクか。

次に購入したのは病院船。しかし病院船ではストーリーは作るのが難しいので特設巡洋艦に改造することにした。建造した軍艦の余った部品を使って機銃や砲をつくり武装をつけ、さらに本をみながら独特の迷彩を施した。我ながらよく出来ていたと自負。(^^)こうなるとさらに脱線してオプションで販売していた機銃や駆逐艦の砲を勝手に増設して武装強化型の艦艇を勝手に作り上げていった。このあたりがリアルさを追求するモデラーと、空想モデラーとの分かれ道だろうか。僕は後者だった。リアルさを追求するとだんだんと辛くなってくるのだ。ならばリアルさは自分の空想で補えばいいじゃない?

空想の主体は僕であり、その主人公は人間だ。意思ある存在によって機械である艦艇は動き、そして物語は生まれる。だが、1/700では人のセットはついていない(あたり前だ)。それゆえ空想に限界を感じるようになっていった。これが後に35分の1サイズのMMモデルに走るきっかけになったように思う。海軍時代の終焉は刻一刻と近づいていた。
海軍時代の終焉

空想力の限界を感じつつも、連合艦隊の形成に向けた建造計画は続いていた。そうなると大艦巨砲主義ではないけどれど戦艦は必要になってくる。意外と現実的だった僕は最後に艦隊のおかざり程度に戦艦を購入。購入した種類は山城、金剛、比叡、榛名、伊勢、そして大和。なんとも中途半端である。本来空母機動部隊への随伴を考えれば金剛、榛名、比叡、霧島となるだろうが、山城はいかにも戦艦しか仕事が出来ません風な艦容に、伊勢 はかわいい飛行甲板に惹かれて、という本来のミッションから逸脱した視点で選定。

大和型の実験艦の比叡 航空戦艦という異色の伊勢

対空兵装が寂しかった山城

大和はいちおう連合艦隊の旗艦にしたかったのでいままの中で一番手をかけて作成した。副砲上にあるアンテナ支柱をランナーを伸ばした線で自作し、さらに空中線もランナー線で自作をしたのである。しかし、旗艦が完成したことでなんだか一気に熱が冷めてしまったのだ。急にやる気を失い、連合艦隊の形成はここに終わりをつげた。比叡、榛名、島風、多摩の4隻はいまだに建造されずに我が実家の倉庫に眠っている。
2006年に実家に帰省した折に撮影した我が旗艦の大和。父は近年の大和ブームで模型が作りたくなったらしく大型サイズの大和を購入し、座敷に飾っていた。なぜか横に俺様が作った大和も鎮座していた。
父が2006年に作成した大和と僕が当時作った大和
私の作った大和のモデルは旧の金型。現在は新金型のモデルが販売されている。旧金型は波切の位置が間違っていて作り上げてからなんだかおかしいなあと資料を見比べて気づいた。僕の子供のころは大和がどんなふうに沈んだか明確になっていなくて宇宙戦艦ヤマトの影響で綺麗な形のまま、沈没したと信じていたが、近年の海洋調査でヤマトの沈没映像を見たときはなんというか、ちょっとショックだった。
 
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